東の海に吹く風


Final Fantasy Tactics


   


明日の見えない私たち



Chapter 0. 惨劇の後



無人の城。誰も居ない廊下。
 ――誰も居ない?
そんなはずはない。
 ――衛兵はどこへいった?
自分の足音だけが、高い天井に響く。

ヴォルマルフ団長の帰りが遅い。大公との会談が長引いているのだろうか。私は気になって様子を見に行く。
しかし、
 ――妙な胸騒ぎがする。

広間の扉を開ける。すぐに開いた。
視覚よりも先に嗅覚が働いた。

血の臭い。

これは戦場の臭いではない。私はこの臭いを知っている。
十数年前、畏国がまだ鴎国と戦争をしていた頃。海の向こうからもたらされた死の疫病。<黒死病>と呼ばれたあの病。
おびただしい死体は荷車に積み上げられ、まとめて廃棄された。死病の伝染を恐れて、死せる肉体は全て火で焼いた。
まだ息ある者も、どうせ助からないだろうからと捨ておかれた。
家族に見放され、医者に見捨てられ、誰に弔われることもなく死んでいった人々。

死の臭い。
目を覆いたくなるような、不幸の臭い。
そう、ここも死の臭いで覆われている。武器王と名高い大公の治めるリオファネス城。それが、なぜこのような――

血の惨状だった。
床に倒れる兵士。
あたりに散乱する血に汚れた武器。
 ――一体、何があったというのだ。

私は身体を折るようにして倒れている戦士にそっと近づいた。
肉体をえぐられるようにして深い傷を負っていた。まるで獣に食いちぎられたかのようだった。

そのまま目を覆い、逃げ出したくなるような光景だった。
しかし私はその場に留まった。
死にゆく者を放ってはおけない――それが私の役目<であった>のだ。

私がまだ若かった頃、黒死病に冒され、為すすべもなく死んでいった人々を看取ってきた。
無力な自分を呪い、苦しむ者を救うために魔法を道を志した。白魔法の心得もある。
私はその道を極めた。死の淵より生命を蘇られることもできる――まだ間に合うのならば。

ここはリオファネス城。
惨劇の後。
負傷兵の治療にあたる者は誰もいない。
いや、負傷兵などいない――ここにあるのはただ死体だけだ。

私はおそるおそる手を伸ばす。
無惨にも食いちぎられた肉体が転がっている。血と肉。そして死。
彼に治療を施すのはもう手遅れであることを知りながらも。

 ――生命を司る精霊よ……失われゆく魂に……今一度命を与え……たまえ…

考えるよりも先に身体が動く。幾度となく繰り返した詠唱の言葉が口をつく。
傷ついた肉体を癒し、失われゆく魂を呼び戻す。それが私の仕事<であった>。黒死病の悲劇を知り、癒し手となることを志し、士官学校へ入り、そして神殿騎士となった。
私はそれからというもの、数多くの傷を負った人に癒しを与えてきた。
それが私の使命であると思っていた。

聖石と契約を結ぶまでは。
<神>を知るまでは。

しかし、たとえ聖石の喚び出す<神>と取り交わしをした後であっても、私が青年時代に培った習慣はすぐには忘れられなかった。
だからこうして、私は死にゆく者の魂をこの肉体に留めようと癒しの魔法を唱えているのである――それが意味のないことであると、知りながら。

 ――痛ましい死だ。
 ――……私にも、まだ人の死を悼む心が残っていたのか。

せめて死に顔でも記憶に留めておこうと、事切れた男の顔をのぞき込んだ。

 ――……ッ…!

私はその男の知っていた。
血に汚れた顔。しかし精悍な顔。
志なかばに倒れた若き壮士。
イズルード・ティンジェル。神殿騎士。新生ゾディアックブレイブ。

その時。
足音。背後に気配を悟った。誰かと問う前に声が答える。
「そんなところで何をしている、クレティアンよ」
冷ややかな声だった。私は振り向かなかった。しかし彼の名前は分かる。我がヴォルマルフ団長。ヴォルマルフ・ティンジェル。神殿騎士団団長。

「ヴォルマルフ様。私は私の仕事を果たしております」
傷ついた肉体を癒し、失われゆく魂を呼び戻す。そして、死者の魂を悼む。それが私の仕事<であった>。
「ここ<リオファネス城>でやるべき仕事など残っていない。此の地の血は満たされた。もはや用はない。あとはミュロンドへ帰還あるのみだ」
私はイズルードの亡骸を抱えたまま後ろを振り向いた。血の滴るヴォルマルフ団長の剣が見えた。

私は悟った。私は聡明な魔道士だ。物事の判断を間違うことは滅多にない。私の予想はおそらく間違ってはいない。
だから私は何も聞かずとも、この惨劇の顛末を知った。
「ヴォルマルフ様、ここにはまだ兵士たちの遺体が残っているようですが、いかがいたしましょうか……」
「おまえならば、どうする」
「ここの戦士たちは、まるで獣に食いちぎられたかのような死に様です。森の中ならまだしも、城の大広間。獣などおりません。このままでは、死体――大量の――を見た者は不審に思うでしょう。ですから……」
「先を続けろ」
「ですから、焼いて処理するのがよいかと。そうすれば<何も>残りませんから」
「なるほど、それは堅実な方法だ。民衆に不信感を与えるのは、今はまだ時期尚早だ。さすがは我が片腕よ。クレティアン。頼りにしているぞ。で、そのやり方は知っているのだろうな」
「もちろん、心得ております」
「詳しいな。火葬の知識などいつ身につけた」
「……先の大戦で学んだことです」

ロマンダからもたらされたという黒い疫病。
村に一人病人が出れば、時を待たずにその村は全滅する。被害を最小にとどめるために、村ごと焼き払った。
それが黒死病の特効薬でもあった。

 ――あの頃と何も変わっていないな。
物言わぬ死者たちを前にして感じた己の無力感。
何もできなかった自分。焼かれる死体を前に為すすべもなくうなだれていた自分。その日から、私は白魔法の道に進み、それを極めるのだと私自身に誓った。

 ――あれから何が変わった?
世界は何も変わっていない。おそらく。
いつだって、犠牲の血を流すのは無辜の人々。
流れる血。流される血。
 ――変わったのは私自身だ。
 ――そうだ、私は変わった。<以前>の私はもう死んだ。

私は<過去>の私と決別している。
しかし……

無力感。徒労感。
それを感じるのは何故か。
その理由は明白だ。

私はヴォルマルフ団長に向き合った。若すぎる殉教者を腕に抱えたまま。
「ヴォルマルフ様。この騎士の名前を覚えておいでですか」
一瞥。そして応答。
「ああ、知っているとも。私と、私の<神>に無謀にもたてつこうとしてきた愚か者だ。――わざわざ<石>をもたせてやったのに」
偉大なる騎士団長の手から、その剣から、血がしたたっている。
彼の目の前には肉をえぐられ、血を流して倒れた騎士。

「ヴォルマルフ…さま……ご子息さまの名前を…覚えて…いらっしゃいますか……」
父は息子の名前を呼ばないだろう。
ならば私が呼ぶしかない。
「ここで血を流しているのはご子息さまではないのですか? 私たちの同胞ではないのですか? この方のことを覚えては、おられないのです、か――イズルードさまのことを――」

返答なし。

イズルード・ティンジェル。神殿騎士。新生ゾディアックブレイブ。享年16。<神>と戦って死んだ――

ある者は言うだろう。彼は<聖石>をめぐる戦いのために誉れある死を遂げたのだと。グレバドスの教会に栄光をもたらすために殉教したのだと。
また、ある者――真相を知っている――は言うだろう。父に屠られた哀れな若者よ、と。

しばらく私は呆然としていた(ような気がする)。
「ああ、どうしてこのようなことに……」
誰に対して言ったわけではないが、私の悲嘆の独り言に思いがけずヴォルマルフ団長は言葉を返してきた。
「詮無きことだ。我々は<器>を血で満たす必要があるのだ」
「しかし、これはあまりにむごい仕打ちでは……同胞の血で満たすなどとは」
「貴様、誰に対して口をきいているのか今一度知る必要があるな」
「……出過ぎたことを、失礼致しました」
「私は<統制者>だ。この名前を肝に銘じておくのだな。しかし私は<統制者>であると同時に騎士団長でもあった。私も、かつては、騎士として剣の道を極めた者であった。魔法しか使わぬお前には分からぬことであろうが――」
「ヴォルマルフ様?」
「――剣を持つ者ならば、皆、こう言いながら得物を構えるのだ。“我に合見えし不幸を呪うがよい”とな。これが私――ヴォルマルフ・ティンジェル――の言葉だ。そうだ、私の墓碑にはこう刻んでもらおうか。“騎士ティンジェル、修羅を求めし者”これだけでいい」
「ヴォルマルフ様……ご存命の間にそのような話をするなど、不吉なことなのでは…」
「存命だと? 何を言っているのだ、クレティアンよ。もうとっくに死んでいるではないか――墓碑を立てるには遅すぎるのだ」
騎士ティンジェル。その名前を持つ者を私は少なくとも三人は知っている。どのティンジェルか。

「辛い道と知りながら、何故、修羅を求めるのですか……私には、分かりかねます……」
「――聞こえなかったか、私は、血が足りないと言ったのだ」
これは<統制者>の声だ。しかし、私は<統制者>の声しか知らない。私は“騎士ティンジェル”の声を知らない。
「<統制者>の名にかけて言う。私と私の<神>に逆らう者は、誰であろうと――私の同胞であろうと――容赦しない。その叛逆の対価は血でしかあがなえない。――これでも、私にまだもの申すというのか」
「異存はございませぬ」
「ゆめ眷属の身ということを忘れるなよ」
「お望みなら、いつでもこの命、貴方のために差し出しましょう……」
「私のためではなく、<神>のために」

犠牲の子羊たち。
<神>の名のもと、血を流すためだけに屠られる。
 ――我ら神殿騎士団。

「素直な返事だ。そうだ、それが私たちの役目なのだ。血と肉を――あるいは魂――を捧げるのだ――!」
「<神>のためなら、この命、この身体、何も惜しいとは思いませぬ」
 ――それが私の一心に求める<神>ならば。
 ――あるいは、それが<眷属>の役目ならば。

「だが、あの誇り高き革命家――四人目のゾディアックブレイブ――はそうではなかった。私の言うことなど、全く聞こうとしなかった」
「ガリオンヌのウィーグラフ」
「そうだ、その男だ。我々に利用され、また同時に、我々を利用しようとしていた。あれは最期まで言っていた。<神>になど屈するものかと。しかし彼は<神>と契約を結んだ。
何故か。彼が<神>の力を必要とする程追い込まれていたからだ。あの革命家は知っていた。力を得るためには<神>をも利用しようと。だが、彼が<神の石>を手に取った理由は力への渇望ではない――敗北への屈辱だ」
「彼がそのような壮絶な最期を迎えたとは知りませんでした」
「私はあの男の気概を見込んで<石>を渡した。なぜなら、そういう気概を持った人間ほど、<神>に愛されるからだ」
「ええ、とても<愛された>ことでしょう――城の入り口に彼の遺体が」
「まるで私が討ち取ったとでも言いたげな物言いだな」
「そのようなことは申し上げておりません」
「私とて、同胞の死を悲しむ心は持っている……<魔人>を死に追いやったのは私ではない……あの憎き異端者だ。私は心からあの異端者を憎む。この復讐はいつか必ず果たす。血には血で報いる必要がある――そうだろう?」

血の復讐。
ならば、イズルード、おまえの仇は誰が討つのだろうか。

私はイズルードの遺骸を抱えたまま立ち上がった。
「どこへ行くのだ」
「ウィーグラフのもとへ。ご存じでしょう、イズルードさまがとてもウィーグラフのことを慕っていたことを。せめて最期は共に――」
「そんなことは無意味だ。ウィーグラフは<神>を選んだ。だがしかし……イズルードはそうではなかったぞ。最後まで<神>に刃向かおうとしたのだ。二人は道を違ったのだ。死んだ者に、今更、その決裂に向き合わせる必要はあるまい」
「私はどうすれば……」
「置いていけ」
「……え…?」
「息子をそこに置いていってくれ――私の息子を、どこにもやらないでくれるか……」

私は命じられた通りにイズルードをその場に残して立ち去った。

あとに残るは累々たる屍ばかり。
物言うものは絶えてなし。

惨劇の広間から物音がした。
剣を床に叩きつける音。
乾いた金属の音。
ヴォルマルフ団長が、剣を投げ捨てた音だった。
その時――何かが<死ぬ>音がした。

 ――騎士ティンジェルは死んだのだ。墓碑を立てるには遅すぎた。

騎士は<統制者>を殺そうとした。
しかし<統制者>は騎士を殺してしまった。
それは不幸な事件であった。

伝令を呼ぶと、私は事の次第をミュロンドに伝えさせた。

【リオファネス城で異変あり。異常事態。戦闘なし。しかし多数の戦死者が発生。バリンテン大公横死とのこと。エルムドア侯爵の目撃情報もあり、暗殺部隊が放たれたとの情報あり。真偽は不明。神殿騎士団においては騎士ウィーグラフ及び騎士イズルード戦死。ティンジェル騎士団長は息災、為にこれより聖地へ帰還する。仔細は其れを待たれよ。以上。】


2016.02.06



(こぼれ話/小説に書いていない部分の解説/妄想文)
・この時点で「ヴォルマルフ」は「ハシュマリム」になっているけれど、イズルードを殺した後で既に亡き人である「ヴァルマルフ」が一瞬蘇って、「ヴォルマルフ」が「ハシュマリム」に殺された息子の復讐を人知れず抱いています。「ヴォルマルフ」から「ハシュマリム」への血の報復の決意。
・「ハシュマリム」は「ベリアス」を殺されているので、ラムザへの復讐心があります。
・……何が書きたいのかというと、「ハシュマリム」の宿った「ヴォルマルフ」の中には強い復讐の念があって、「ハシュマリム」を突き動かすのは<血の復讐>という<血への渇望>があったのだ……という設定の上でこの小説は書かれています。
・ちなみに、<血の復讐>は飛空艇の墓場で「ハシュマリム」が死ぬことで果たされ、「ハシュマリム」も「アルテマ」へ血を捧げることで両者の野望は相討ちとなる形で実現する、という結末になります。
・クレティアンはアレイズっ子な設定(?)を踏襲しています。どちらかといえば白魔道士寄り。

・(この小説とは関係のない話題)騎士ティンジェルさんはFFTAのサブクエストにひっそり出てきて<混沌と血のリンゴ>を残していきました。智恵と知識のシンボルであるリンゴ。ハシュマリムと契約して聖石の持つ太古の<叡智>を得たヴォルマルフ。しかしその<叡智>は息子の死という血塗られた代償を伴うものだった……という妄想。彼は業を背負った騎士なのです。





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