東の海に吹く風


Final Fantasy Tactics


   


明日の見えない私たち



Chapter 1. 血と名前



「逃げろ……ここは、き…危険だ……」
見知らぬ誰かの忠告。
私は逃げる。ここから逃げなくては。兄のもとへ。

阿鼻叫喚のリオファネス城。

「聖石を……きみの兄貴に…」
手渡された一つの聖石。
ラムザに渡さなくては。
彼の遺した言葉を果たさなくては。
私は逃げる。ここから逃げなくては――ここは地獄だわ。こんなに血がまき散らされた場所には居たくない――!

血。
誰かが流した血。
私はその血を知っている。
それはあの雪の日のこと――

 ――ティータがさらわれた。
 ――ベオルブ家の娘として。

 ――ティータが殺された。
 ――ベオルブ家の命令が下されて。

 ――私の名前はアルマ・ベオルブ。ベオルブの名前を持つ者。

ティータが死んだ日のことはよく覚えている。とても寒い日だった。雪が降っていた。私は寒さにふるえていた。
邸宅が襲撃され、兄が負傷した。
あの時は、誰が、何のためにベオルブ邸を襲撃したのかよく分かっていなかった。
でも、そのあとで<骸旅団>が<ベオルブの家>を襲い、<ベオルブ家の娘>を人質にとったのだと知った。そして<骸旅団>殲滅の命令を下したのが自分の兄だと知った。
その渦中にティータは死んだ。
<ベオルブ家>に見捨てられたのだ、と誰かが言っていた。

私の親友が、私の名前を背負って、犠牲になった。

望んで<ベオルブ>の名前をもらったわけではなかった。
(<ベオルブ>の中での私の肩書きはいつでも<妾の子>だった!)
だけど、いつしか、私は私の背負っている物の存在を知った。
私は男には生まれなかった。だから戦う必要もない。戦場で命を賭ける必要もない。
けれど、ティータが死んだあの日、あの雪の日、私は自分の名前とその責務を知った。

ジークデン砦で殺されるのは私であるはずだった。
<ベオルブの娘>がさらわれるはずだった。<ベオルブの娘>だったら人質になっても助かったかもしれない。でも彼女は、ティータは<ベオルブの娘>じゃなかった。

次は私よ。
次こそ私が<ベオルブの娘>として殺される時よ。
私が血を流す番よ。
 ――覚悟は出来ているわ。

だからあの時、オーボンヌ修道院で兄から引き離された時、これが<その時>なのだと悟った。
 ――覚悟は出来ているわ。
 ――私の名前はアルマ・ベオルブ。ベオルブの名前を持つ者。
 ――血が伴う名前。

私をさらったこの騎士――私がこの場で看取った――もそんなことを言っていた。革命には血が必要、と。
 ――たしか、この人の名前は、ティンジェル……
 ――そうだわ、騎士ティンジェル。そう名乗っていたわ。だけど、この人も、死んでしまった。

彼は私をさらってどうするつもりだったのだろうか。
私が<ベオルブの娘>であることは知っていた。けれど、私の名前には関心がないようだった。彼が興味を示したのは聖石だけ。
教会に栄光をもたらすのだと言い、オーボンヌ修道院を襲撃し、聖石を奪っていった。
 ――聖石が神器だと本当に思っていたのかしら。
 ――だとしたら……だけど、彼がもたらしたのは多くの血。修道院で多くの人が殺された。

シモン先生。
私を育ててくれたシモン先生。
先生も……
 
 ――多くの人の命が犠牲になったわ。オーボンヌで、リオファネスで……そして、彼自身も……血を…。
私は知っている。<名前>は多くの血を必要とすることを。私には<ベオルブ>だった。彼には<グレバドス教会>だったのだろう。

彼に再び問う。亡骸に話しかける虚しさをわかっていながら。
「ねえ、どうして私をさらったの……?」
「それは貴様がベオルブの名前を持っているからだ。貴重な取引材料になる」
「そこにいるのは誰ッ」
誰も居ないと思った暗闇から声が響く。
「いつからそこにいたのッ」
「いつからだと? 私はずっとここに居た。息子と共にずっとここにいたさ……気づかなかったのか?」
私の背丈をゆうに越える男が現れた。いや、ずっとここに居たという。私は気づかなかった。全く気づかなかった。だって、誰かがそこに存在していればあるはずの、<気配>が全くなかったから――
「あ、あなたは誰……」
「私の名前を聞いたな? 聞かれたら名乗るのが礼儀だ……答えよう。私は騎士ティンジェル――」
「嘘。嘘よ、だって、騎士ティンジェルは――私の腕の中で、息を引き取ったもの……」
「ティンジェルの名前を持つ者が一人だとでも?」
まさか、と思った――信じられない、でも、この年齢。いや、まさか――親子だというの? この人が彼の父親?
「あなたが、彼の父……」
「そうだと言ったら驚くかね。彼を始末した剣もここにあるぞ」
放り投げられた血のついた一振りの剣。
「――! あなたは…っ……息子を手にかけたのね――」
「私を非道いと思うかね」
「彼が可哀想だわ。死んでいった人たちが可哀想。私が思うのはそれだけよ……」
「私のことを憎いとも思わない? 貴様はオーボンヌで、肉親から引き離されて、自分をさらったこの男――愚息だ――を憎いと思わなかったかね」
 ――私は<ベオルブの娘>よ。覚悟は出来ているわ。
「奴は手荒な行為を働いただろう。誘拐される娘がおとなしいとは限らないからな。“こんな男は神に呪われろ”と思わなかったかね」
 ――私は<ベオルブの娘>よ。覚悟は出来て……ええ、その通りよ。認めるわ。私は誘拐犯に必死で抵抗していたわ。兄に会いたくて、兄の名前をずっと叫んでいたわ。……彼のこと、最初は恨んでいたわ、だけど……
「どうだ、私に感謝してくれないか。私は貴様をさらった男を始末したのだぞ」
 ――だけど……彼を殺してほしいなどとは思っていない!
「私は……あなたたちのことをよく知らないわ。恨みを言うつもりも感謝を述べるつもりもありませんわ。さようなら、サー・ティンジェル。私はここを去ります」
兄のもとへ帰らなければ。ラムザにこの聖石を渡さなければ。この人のもとから離れなければ。
 ――怖い。とても、怖い。
今にも、彼を殺したというあの剣で斬り殺されそうな気がする。
今が<その時>だわ。私が<ベオルブの娘>として死ぬ時だわ。
ティータはずっと、こんな恐怖の中にいたのね。
可哀想なティータ……私のかわりに……

「ほう、このまま逃げるというのか、小娘よ。貴様が“可哀想”といった男をこの場に残して去るというのか」
「非道いのはあなたの方ではなくって? 息子を殺しておいて――」
 ――駄目よ、何も答えてはいけないわ。この人はただ私を引き留めようとしているだけ。今はここから逃げることだけを考えなくては。私は彼から聖石を預かっているのよ。聖石を兄に渡すのが彼への弔いよ……――
「貴様の兄たちはもっと非道なことをしているぞ。ゼルテニアで枢機卿を殺したのは――」
「私の兄はそんなことをしていないッ」
 ――これは罠よ。私を錯乱させるためにこの人はこんな事を言っているんだわ。こんな狂言は無視するのよ……
「ふ……小娘、少しは賢いようだな。だが貴様が知るべき真実は他にもまだまだあるぞ。貴様の兄が天騎士を毒殺したという――」
「え……」
私には三人の兄がいる。三人とも父の死には立ち会った。
 ――毒殺? 何の話? 兄が? どの兄さんが?
 ――いけない、考えては駄目よ。そんなことをしたら相手の思うつぼだわ。

だけど、足が動かなくなった。
じわじわと忍び寄る影。
恐怖で身体が凍り付いた。
あの人は間違いなく私を殺すだろう……あの剣で……私はもうどうあがいても逃げられない……

ひたひたと足音が響いた。
「あ……」
「どうした、逃げないのか」
 ――怖い、怖い、この人が怖い。
「私は粗暴な事をするつもりはない――愚息と違ってな。私は礼儀を重んじる<騎士>だ。婦人を後ろから八つ裂きにしようなどとは思っていない。安心し給え。ましてや<ベオルブの娘>にそう手荒な真似はしない……」
 ――<ベオルブ>の名前の為に誰かが犠牲になる。家族が、友達が、私が、犠牲になる。望んでもらった名前じゃないのに。
 ――兄さん、兄さん。助けて、兄さん……! 私をここから連れ出して!
「そのまま逃げるか? ならば、そのまま入り口に行くがいい。そこに――我が同胞の死体がある。彼の名前はベリアス……共に<使命>を果たすはずだった。だが、彼は<使命>を果たす半ばで逝ってしまった。貴様の兄の所為だぞ」
 ――ラムザ兄さんだわ! つまり……兄さんはリオファネス城に来たんだわ! 私を追って来てくれたの? 兄さん……今、逃げれば、まだ兄さんに追いつけるかも。今すぐこの場を逃げ出せれば……
「貴様の兄の所為で、私の同胞は殺されてしまった」
「兄さんを悪く言わないでッ! 兄さんは正しいことをしているわ――! 家族を殺したあなたと違って、兄さんは理由なく人の命を奪ったりはしないッ」
「それでは、私がまるで考えもなしに息子を殺したようではないか。失敬な。私は<血>を望んでいる! 奴はそれを望まなかった! しかもその肉体はふさわしくないものであった――」
「なお、悪いことだわ。信念をもって、家族を、殺そうなんて……人の所業じゃないわ……そうね、あなたたちは人じゃないわね、化け物――」
「我々を化け物と言うのか――ッ!」
咆哮。
身体がすくむ。恐怖で凍り付いた。

 ――なお、悪いことだわ。信念をもって、家族を、殺そうなんて……
自分の言葉が脳裏にこびりついている。そこに兄たちが天騎士である父を毒殺した、らしい、という言葉が重なった。

どうして私はここへ来たの。
それは彼――死んでしまった――が連れてきたからだ。
どうして彼は私をさらおうとしたのだろうか。

「……」
「どうした? もう逃げる気力もなくなったか」
「……あなたたちは、一体何をしようとしているの…?」
「我が<神>の為に。それ以上の答えが欲しいなら、自分で探すことだ。もっとも、その答えが<人>の身に理解できるかどうか分からないことだがな」
「ええ、一度尋ねたことがあるわ……」
「ほぅ……神殿騎士の知り合いが居たのか? 興味深い」
「知り合いじゃないわ、だけど、名前は知っている。ずっと前――彼が神殿騎士になる前――から知っていた人よ」
ウィーグラフ・フォルズという名前。
ガリオンヌで暮らしていた頃から知っていた。いや、正確には、ルザリアの修道院からガリオンヌに戻った時、ディリータからその名前を聞いた。
骸騎士団、あるいは骸旅団のウィーグラフ・フォルズ。それが忘れられない名前となったのはジークデン砦の出来事の後だ。
神殿騎士団のウィーグラフ・フォルズ、その人に出会ったのはつい先ほどの事だった――リオファネス城で――

その時、私は逃げようとしていた。
名前も知らない善良な騎士が私に忠告してくれた。逃げろ、ここは危険だ、と。
このリオファネス城から一刻も早く逃げ出そうと、私は焦っていた。
走って、走って、城の入り口を探した。あたりはすでに血の海だった。

入り口を探し出した時、私は立ち止まった。
城の入り口に誰かが立っている。
剣を持っている。騎士だった。
赤いコートを着ている。神殿騎士だった。
兄と同じ金髪の男が……
「そ…そこをどいてくださらないかしら。……わたし…は、外に出たいの」
値踏みをするように相手がじっと見つめる。まっすぐな視線を感じた。
「ヴォルマルフ様から何人たりとも生きてこの城から出すなとお仰せつかっている。女子供だろうとその命令は絶対だ」
 ――私はこのまま殺される……
私は数歩下がった。中にも外にも逃げ場はない。どうしよう、どうしよう……
「む、おまえはイズルードが連れてきた娘だな。何故こんなところにいるんだ」
「イズルード? ああ、あの、中で死んで――」
「死んだだと!? イズルードが? 何があった――」
「中の様子を知らないの? 広間は全滅よ。みんな<化け物>に喰い殺されていたわ。イズルードさんも、恐ろしい<何か>と闘って力尽きていたわ……私の腕の中で息を引き取ったもの……」
「そうか――そうか……そうだったのか……ということは、ヴォルマルフ様が……。一つ…聞いても…いいだろうか――彼は最期に何と言っていただろうか――」
「たしか、<奴>を殺さねば、この国は滅びる、と……」
私はその時の彼の表情を忘れられない。
「――!! ……そうか、そんなことを言っていたのか……イズルードよ――。ふっ、私が中に居れば、私がイズルードに手をかける羽目になったのかもしれないな。いや、殺されるのは私だったかもしれない――」
彼はこう続けた。「私はオーボンヌで死ぬべきだった」
聖石を取り出してこう続けた。「私は生きてここにいるべきではなかった。私はとうに――ガリオンヌで果てるべきだった」
私はこの人たち――神殿騎士団――のことをよく知らない。ラムザから、彼らが聖石を集めて野心を果たそうとしている、と伝え聞いただけだった。だから、目の前のこの壮年の騎士が何をこんなに悔やんでいるのかということは、私には知り得ないことだった。
「私にはよくわからないけれど……あなたも、影を背負って生きているようね」
「影? ああ、影だな――死んだ妹の影が私にはつきまとっている。どうしても、忘れられないのだ。貴族の捨て駒にされた妹の面影が……」
「妹さんが、いたのね」
「ああ、いたさ。骸旅団の壊滅を待たずに殺されたがね」
 ――骸旅団。
 ――私はその名前を知っている。
 ――私はこの人を知っている!
「あなたは――私はあなたのことを知っているわ……あなたは――」
「私を知っている? それは光栄だ。私もアリエスを持つゾディアックブレイブの一員だったのだ。多少なりとも名前は知られていよう」
「違うわ。私が知っているのは、神殿騎士のあなたじゃないわ……あなたは、ガリオンヌの骸騎士団のウィーグラフ・フォルズ……」
「ハハハ! こんな場所で骸<騎士団>の名前を聞けるとはな! 懐かしい名前だ。そうだ、私は骸騎士団の団長<であった>ウィーグラフだ」
骸騎士団。貴族。<ベオルブ>。骸旅団。ディリータ。貴族。権力。ジークデン砦。ティータ。聖石。グレバドス教会。ラムザ。異端者。聖石。リオファネス城。この悲劇的な――全てが複雑に絡み合っている。
「骸騎士団の団長さん、私はあなたのことをよく兄たちから聞いていたわ」
「そうだろう。私の首には懸賞金が懸かっていたのだから。ベオルブの名前を持つ者が私の名前を知らないはずがないのだから」
「違うわ……兄たちが話していたのは、<骸騎士団>のあなたのことよ。私の兄――ディリータ兄さん――はこう言っていたわ。義勇兵を募って畏国を救おうとしていたあなたに憧れていたと。<騎士という身分>にとらわれず、あなたたちは故国を守ろうとしていた英雄だったと。彼はあなたのことを尊敬していたのよ! 自分がもう少し早く生まれていたら、骸騎士団の義勇兵に志願して、あなたと共に戦いたかったと言っていたのよ――!」
「だが骸騎士団……いや骸旅団の末路は知っているはずだ! おまえが<ベオルブの娘>なら尚のこと知っているはずだ! 詳細にな!」
「だったら一言だけ、言わせて。ジークデン砦で巻き添えになって死んだ娘は<ベオルブの娘>じゃなかったのよ。私の友達――貴族じゃない、友達だったのよ!」
「私は言ったはずだ。娘は解放しろと」
「でも解放されなかった……」
「その件に私は関与していない……だが、骸旅団のやったことだ。私の責任でもある……」
「いいえ、今更、あなたを――骸旅団の方々を責めるつもりはないの。骸旅団を潰したのは、他ならぬ<ベオルブ>がやったことですもの」
「私が憎くないか? ジークデン砦で死んだ娘はおまえの友達だったのだろう。殺された恨みはないのか?」
「恨むのは……私の名前だけ……ベオルブの名前を捨ててしまいたいわ。この忌まわしい名前を」
「私と同じだ。私も恨むのはベオルブの名前だ。私はこの名前を一生忘れない。私の妹の命を奪った憎き名前――ベオルブ……ラムザ・ベオルブ…」
「兄さん! ラムザ兄さんは骸旅団の殲滅活動には関わっていないわ!」
「だが、奴は事実、ミルウーダを殺した! 降伏の道も与えず、妹を殺したのは紛れもなく奴だ! 命令を下したのはザルバッグ将軍か、はたまた卿かは知らないが、その命令を実行に移したのは士官学校の見習いたちだ! 自分の意志で決断一つできない、若い見習いたちに、ミルウーダは……ッ……伝え聞いたところによると――ミルウーダは、最期には、家畜のように扱われ……無惨に……殺されたと……兄である私の無念をわかってくれ――私は妹を失ったのだ。彼女は、私の、最も望まない形で戦死したのだ……殺されたのだ……」
「にいさんは…わたしのにいさんは……そんなことをしないわ……」
「だったら――ミルウーダを返してくれ――妹を返してくれ――ッ!」

かすれた声。
ここに来るまで、一体彼はどれほど涙を流したのだろう。
ガリオンヌでささやかな英雄だったウィーグラフ・フォルズ。家族を失い――神殿騎士となり――今、彼はフォボハムでリオファネス城で聖石を手にしている。

 ――聖石――
 ――聖石を手にしている――?

私の心に一点の曇りが生まれた。
聖石を手にした者の<悲劇>は、兄から聞いた。
それはジークデン砦の<悲劇>とは全く違った<悲劇>だ。
 ――どうして、ガリオンヌの骸旅団の頭目だった彼が、ここで聖石を持っているのだろうか……このリオファネス城の惨劇の中で……

「あなたはどうしてここに居るの? どうして聖石を手にしているの? その聖石が恐ろしい力を秘めていることは知っているでしょう――?」
私はその時、たしかに、こう尋ねた。
「……あなたは――あなたたちは、一体何をしようとしているの…?」
「何故、それをおまえに言わなければならないのだ……」
「私はここへさらわれて来た。あなたたちのやることに巻き込まれたのよ。私には何がなんだかさっぱり分からないの、だから知りたいの。教えて、あなたたち神殿騎士団は聖石を集めて何をしようとしているの――? 聖石は、騎士団に匹敵するような、ものすごい力を持っているわ。だけど、その代償はひどいものよ――ライオネル城で――リオファネス城で――おびただしい死者が出たわ……。イズルードさんは言っていたわよ。奴を倒さないとこの国は滅びると」
「私の前で――彼の名前を出さないでくれ――頼むから――彼の名前を――」
「いいえ、言うわ。はっきりと言うよ――私はイズルードさんから聖石を託されたの。このオアイシーズを預かったのよ! これを私の兄に渡して欲しいと(彼の遺言よ!)。そして兄は言ったわ。バグロス海に投げ捨てろと――」
「イズルードは――」
「私には分からないわ。どうして、骸騎士団に居たあなた――故国を救おうとしていた――が、聖石を手にして、リオファネスでこの殺戮を目の当たりにしていられるのか……分からないわ。……フォルズさん。あなたが、骸騎士団と共に悲劇を迎えたことは十分理解しているわ。妹さんのことも……。私だってティータを理不尽な運命に巻き込んで殺してしまったもの……<ベオルブ>のせいで……。……でも――聖石は――駄目……いけない! お願い! 今すぐその忌まわしい石を棄てて!」
「……同じ事を、おまえの兄貴も私に言ったよ。オーボンヌ修道院で、私が死にかけている時だ。ラムザは言った。聖石の云うこと聞くな、今すぐそれ捨てろ、と。おまえも兄貴と同じ事を言うんだな。兄妹の血だな」
「兄さん、私の愛する兄さん――私も同じ事を言うわ。聖石を捨てて――! 私はこの国をを愛してるわ。このイヴァリースが大好きよ――! かつてのあなたが骸騎士団を率いてイヴァリースを救おうと考えたように、私もイヴァリースを救いたいと思うの。これ以上、血が流されるのは見たくないわ――だから聖石を――」
「この聖石は畏国に血を流す原因となる、と言うことだな。……イズルードは、これを悪魔の力と言ったそうだな。最期に気づいたか……だが、私も聖石については何も知らなかった。ミュロンドでアリエスを賜った時も、オーボンヌで聖石と契約を結んだ時も、これが<悪魔の石>だとは知りもしなかった……」
「でも、今は知っているでしょう!? このリオファネス城で起きた惨劇の原因はその石にあるのよ!」
「それは、知っている……。だが、私は、イズルードがしたように、聖石の力を拒絶することは出来ない……そんなことは出来なかった。それどことか、私は聖石の<奇跡>にしがみついた」
「まだ間に合うわ! 私にアリエスを渡して! このパイシーズと一緒に、私が葬り去るわ……!」
「間に合う? 何を言っている……私は聖石を手放す気など微塵もない。私はミルウーダの仇を討つと、私自身に誓ったのだから……いくら落ちぶれようと、私の誇りに掛けて、その誓約を反古にするつもりはない――! ベオルブの名をこの剣で倒すまでは、アリエスは私の手中にある――! ベオルブへの復讐だけがもはや私の生き甲斐だ!」
「……ッ」
「我々が何を成そうとしているのかを知りたいと問うたな、ベオルブの娘よ。愚問だ――神殿騎士らの果たすべき<使命>など私には関係のないことだ。私はグレバドス教会の栄光を利用するために神殿騎士となった。騎士団は私を欲していた。私は騎士団の権力を欲した。共に利用し、利用される相互依存の関係を望んだ。“教会の犬”と罵られようが――この言葉を発したのはおまえの兄だぞ――私は今、こうして<力>を手にした。これで、ようやく、私はミルウーダの仇を取ることができる――」
「じゃあ、ラムザ兄さんに会ったら……」
「私がこの手で殺してやる――! ラムザだけではない、将軍や卿もだ……憎きベオルブの名前を…この手で……」
「いけない――そんな憎しみにあふれた心で聖石を手にしては――さらなる<悲劇>が起きるわ――!」
「そうまでして聖石を捨てろと私に言うのだな。だが、聖石を捨てろというのは、私に命を捨てろということだ……あの時――オーボンヌ修道院で、私は死にたくなかった。妹の仇を討つために神殿騎士になったというのに、アリエスを手にしたというのに、私は自分の道を自ら選んだだけだというのに――教会の犬と罵られ、仇敵に追われたまま敗死する……惨めだろう。惨めな末路だろう……私は死にたくなかった。犬死になどしたくなかった……だから聖石の<奇跡>にすがった。それだけのことだ……この私を哀れむがいい――復讐をすること以外に生きる目的を忘れてしまったこの惨めな男を……」
「私は……」
「この惨めさは、信念を貫ける意志を持つ者には分からないだろうな……おまえの兄やイズルードには……。イズルードが今の私を知らないまま逝ったことがせめてもの救いだ……彼は私がオーボンヌで果てたと思っている。そう思いながら死んでいったのだと信じたい――この惨めな私の姿を、彼は知らなかったはずだ……」

途切れ途切れに話す、彼の言葉に私は何と答えたかを覚えていない。
ベオルブへの復讐と憎悪。
自分を突き動かす感情はそれだけだと、彼は言った。
けれど、私には、それ以上のものが感じられた。
生への執着――それは死の恐怖と隣り合わせだ。
私も、この城に来るまで、幾度となく思った。死にたくない、このまま殺されるのは嫌だ、と。今も、何とかこの惨劇の城から逃げようと思っている。ここには居たくない。はやく兄のもとへ帰りたい――心からの願いだった。

そして、私の手には、悲しむ者の願いを叶え、<奇跡>を起こす聖石がある。

恐ろしい光景が浮かんだ。
もし、私が聖石を持ったまま、あの日のジークデン砦に居たのなら……。
もし、砦の爆発に巻き込まれたのが、ティータでなく、私だったら……その時、私の手に、<奇跡の石>があったなら……。
……私の明日はなかったかもしれない。

私はその場から逃げ出した。
ベオルブへの復讐を唱える騎士の前から逃げ出した。なぜなら、私はベオルブの娘であるから……その場に長く居続けることは出来なかった。
(彼は私を殺しはしなかったが、城から出すこともさせなかった。)

だから私は城の中へ戻ってきた。
 ――奴を倒さねばこの国が滅びる!
そう言い遺した彼にもう一度会いたくなったのだった。
けれど、私は彼に再会する前に、別の騎士に出会うこととなった。私にとって、三人目の神殿騎士。紫の服を着ている――血に染まった……――死んだ若い騎士の父親と名乗る神殿騎士に。

段々と、このリオファネス城で起きている事件の様子が分かってきた。
 ――イズルードさんは、お父様に殺されたんだわ。
父親が悪魔に変容する様を見ていたのだろう。ゾディアックブレイブとして授かった聖石で。修道院を襲撃してまで、集めた聖石で。そして、教会の栄光を託したその聖石で、彼は致命傷を負った。
あの安らかな死を迎えるまでに、彼はどれくらいの、絶望と恐怖を味わったのだろうか。
死の恐怖に直面した者は誰しも、<奇跡>にすがるというのに、信仰を失った彼には、恃むものは何も残らなかったことだろう。彼は聖石を捨てろといい、最期まで自分の剣を手放そうとしなかった。剣だけが彼の手に残ったのだ……。
絶望の騎士。私をさらった男。
騎士ティンジェル。

そして、彼を殺した、もう一人の騎士ティンジェル。
私は三人目の神殿騎士と話している。

「……」
「どうした? もう逃げる気力もなくなったか」
「……あなたたちは、一体何をしようとしているの…?」
「我が<神>の為に。それ以上の答えが欲しいなら、自分で探すことだ。もっとも、その答えが<人>の身に理解できるかどうか分からないことだがな」
「ええ、一度尋ねたことがあるわ……」
「ほぅ……神殿騎士の知り合いが居たのか? 興味深い」
「知り合いじゃないわ、だけど、名前は知っている。ずっと前――彼が神殿騎士になる前――から知っていた人よ」
「ウィーグラフという人よ。骸騎士団の団長だった人――彼はベオルブの名前にしか関心がないようだったわ……。フォルズさんが聖石にすがっていた理由は……なんとなく、わかったわ――<ベオルブ>への執念がだ、あの方の心の中では今も燃えているのよ」
「ウィーグラフ……ああ、ベリアスのことか。残念だ。今さっき、貴様の兄に殺されたところだ……無念極まりない……ラムザめ、私の同胞をやすやすと殺しおって……この復讐はいつか必ず果たすぞ――」
「あ……」
 ――ベリアス。それがフォルズさんが聖石と契約した名前なのね。ああ、よかった……兄さんは無事に<化け物>を倒したのね……よかっ……た……
でも、なんだか、涙が出てくる。
 ――いいえ、これでよかったんだわ……だって私、イズルードさんに、兄があの<化け物>をきっと倒すと約束してしまったもの……私の言葉通りになったんだわ。これでよかったのよ……
「我が仲間のために泣いてくれるか、娘よ……」
頬を伝う涙。
でも、これはベリアスのためのものじゃない。畏国を血の海に沈めようとしている悪魔の化身に私は涙を注げない。だけど――……
だけど――私はもうずっと前から泣いていた気がする……。
「違うわ……あなたたちの為に泣いてるのわけではないわ……わたしは……悲しいのよ――悲しい、とてもかなしい……」
「ならば何の為に泣くか、娘よ。貴様は女だ。娘だ。戦うこともできず、泣くことしか出来ない、か弱い存在だ。だが、貴様は<ベオルブの娘>だ。生かしておけば交換材料になる。異端者の若造にとっても、ベオルブ家の連中にとっても、貴重な取引の材料となる。私はそう思って貴様を生かしおくつもりだった……」
 ――私は悲しい。ベオルブの家になど生まれてこなければよかった。私は一生<ベオルブ>を背負って生きていかなければならないの? 女になど生まれてこなければよかった。剣をもって、自分で、自分の力で、戦いたかった。
「貴様を生かしおくつもりだった……だが、気が変わった。貴様はベオルブの名前を持つ者……ベリアスを殺したあの小僧の妹だ。貴様もあの世へ送ってやろう。ベリアスの仇だ――涙の代わりにその血を捧げろ――! 怖がらなくともよい、苦しませずに殺してやるから――」
剣を抜く音。
忍び寄る恐怖。
この後、私がどういう目にあうのか、考えなくても分かる。
私の目の前には、殺気を放つ騎士が、その向こうには、無惨な殺され方をした騎士が倒れている――斃れている。
「嫌……ッ…離して……!」
逃げ出したい、この城から。
今すぐに逃げ出したい。
名前を捨てて、何もかもを放り出して、誰も私を知らない場所に……。
剣を持たず、身を守る術を持たない私が、この恐ろしい悪魔から逃げることは出来ないだろうと分かっていた。叶わないことだと、分かっていたから……こう叫んだ――
「イズルードさん……! 今すぐ私をここから攫って……! 私をここから連れ出して――お願い――今度こそ、私は貴方にこの身を預けるわ――」
「何を言っている――さあ、来る……だ!」
髪を掴まれ、剣を突きつけられる。
冷たい感覚が、首筋に広がった。

 ――嫌、こんなところで死にたくない……こんな無惨な殺され方は嫌よ……
ジークデン砦の悲劇から三年。
私は、自分でも背負いきれないような途方もない<名前>を抱えているのだと知った。
いつか自分も、<ベオルブ>のために死ぬ時が来る――覚悟はしていた、つもりだった。でも、無理だった。怖くて、恐ろしくて、たまらない。
 ――死にたくない! 
私はどうしてこんな家に生まれてしまったのだろう。どうしてこんな時代に生まれてしまったのだろう。どうしてこんな国に生まれてしまったのだろう……
死を完全に覚悟した時、私はあらゆるものを呪いたくなった。

その瞬間、白い閃光が放たれた。
「え……」
何が起きたのか、さっぱり分からなかった。私はもう殺された? でも、まだ、私の肉体からは血が流れていない。私はまだ死んでない。
 ――今の光は何?
「何故だ……聖石から光が……一体、何に反応をしているのだ……」
 ――聖石? 聖石が反応している?
私は<恐怖>を感じた。死ぬことへの恐怖ではない。もっと別の恐怖……このリオファネス城に蔓延している<恐怖>を感じた。
 ――私が呪いをかけたから? 私の恐怖が聖石を喚び起こしてしまった? 
私はとんでもないことをしてしまったのかもしれない、と震えた。首にあてがわれた剣は、私の身体を離れている。それでも、私は<恐怖>に震えた。

私はとっさに、闇の中に、パイシーズを放り投げた――誰にも気づかれないように。
投げ捨ててから思った。
 ――イズルードさん、ごめんなさい……聖石を兄に渡すと、貴方と約束をしたのに……ごめんなさい、だけど、私は弱い人間だわ、この手に聖石があったら、もし、<奇跡>を起こしてしまったら……。
 ――だけど、貴方は、本当に、信念を貫ける意志を持った方だったのね。聖石の力に最期まで頼らずに……フォルズさんが言っていた通りね……。

けれど、まばゆい閃光を放ったのはパイシーズではなかった。
「何故だ……何故ヴァルゴが反応しているのだ……まさか――貴様は――?」
「え……? ヴァルゴ? 私が何をした……?」
騎士ティンジェルが懐から聖石を取り出した。処女宮のクリスタル。
オーボンヌ修道院にあったものだわ。
あれは姫様のものだった――オヴェリア様と一緒に、王家から預かった聖石だわ。修道院で暮らしていた頃、何度か見かけたことがある。“不正や不浄を憎む潔癖”と“独立”を司るクリスタル。
「そうか……! ヴァルゴが反応するのは……貴様が相応の肉体を持っているからなのだな――否、肉体ではない、これは……魂の一致だ!  百年待つかと思ったぞ! 貴様は――貴女は、唯一の魂を持っている。聖アジョラよ――! こうして会えるとは――」

聖アジョラ。グレバドス教会の始祖。でもそれが私と何の関係が?
さっきまで、私を殺そうとしていた騎士が、涙を流して私の前に跪いている。

肉体ヲ 奪取セヨ


 ――誰の声? 

汝ノ真ノ名前ヲ 呼ビ覚マセ


 ――あなたは……私は……私の本当の名前は……ベオルブじゃない……私は……

汝ノ魂ヲ 解キ放テ


 ――私の魂を解き放つ。

私の中で、何かが目覚めた。
身体の中に今までに感じたこともない、不思議な力が満ちあふれてくる。

『サー・ティンジェル、面を上げろ』
「我が主よ、魂を取り戻したのですね――私の名前はハシュマリム。ヴォルマルフ・ティンジェルは私の肉体のかりそめの名前。私の魂には統制者の名前が刻まれております」
『ハシュマリムよ……私はまだ魂を取り戻していない。私の肉体も、魂も不完全だ。私は然るべき場所へ行く。私を案内しろ』
「もちろんでございます。何処なりとも、貴女をお連れします」
私の口から、私じゃない、誰かの言葉が出てくる。私の知らない誰か――違う、私は知っている――
名前を思い出した――私の身体と魂は二つの名前を持っている。アジョラ・グレバドス。そして、聖天使アルテマ。

私はリオファネス城を出た。
もう生きてこの城を出ることはかなわないとさえ思っていたのに、私は悠々と城の入り口を跨いだ。
私を殺そうとした男を後ろに従えて。親子ほどに年の離れた男を命令に従わせる。もう、彼は私に手出しをしない。許可なく私に触れることさえないだろう。

私はもうアルマ・ベオルブじゃない。
もう<ベオルブ>の名前に縛られない――今度は<聖天使>が私を支配する番だ。 しかし、それでも、一人で城を出て、久しぶりに外の空気を吸った時……清々しいものを感じた。

『私の魂を解き放つ』

解放。

それはとても気分が良いものだ。


2016.03.04



(あとがき)
・“ベオルブの娘”ポジションでありながら、“アジョラの生まれ変わり”、“アルテマの依代となる身体”、それに加えて“かつてアルテマを倒した子孫の血”というカオスな一身上の都合を抱えているアルマちゃん。“かつてアルテマを倒した子孫の血”というのはベオルブでなく、ルグリアの血筋なんじゃないかな、と思います。
・ベオルブとルグリア、転生したアジョラとアルテマを倒した子孫。二律背反の血筋を受け継いでしまったアルマちゃんです。名前に翻弄され続けた子だな…と…。

・ウィーグラフとアルマの関係は、ティータや骸旅団のことを含めて、色々と因果な関係です。それと同じように、アルマとハシュマリムの関係も複雑なものだと思ってます。聖石や聖典を持ち去ったり、ルカヴィ退治に精を出すラムザの妹がアジョラでアルテマを倒した子孫ってややこしすぎる……彼女たちは、数奇な運命を背負っているのです。
・FFT本編ではアルマがリオファネス城から離れる→ラムザがベリアス倒す、の流れなのですが、このSSでは逆の流れです。ラムザがリオファネスに来て、ベリアスを倒して、城に居るアルマき気づかずにリオファネスを離れるなんてないだろうと思いながら、ついうっかり時系列を錯綜させてしまいました…orz





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