東の海に吹く風


Final Fantasy Tactics


   


血と名前 ver.0



 目の前で人が死んでいた。彼女と同じ年頃の、まだ若い騎士だった。彼女は彼の死を看取ったが、その死を悼む暇なく、見知らぬ男に腕を引かれ、その場から引き離された。彼女には、リオファネス城で死んでいたその若い騎士との関係を考える暇もなかった。兄が不名誉な称号を受けたと思ったら、兄と生き別れになり、拉致され、自分をさらったその人は無惨な死を遂げ、彼を殺した男が私を連れ去る――私の人生はこんなものなのだろう、とアルマは思った。いつか、自分も剣をとって男として戦いたかったと、彼女は思った。誰かにさらわれ、なすがままの人生など悲惨なだけだ。
 彼女は男に引きずられるように、城の広間を出た。彼女を引っぱるのは、体格のいい壮年の騎士だった。立派な甲冑を身にまとっている。腰に佩いた剣からは血がしたたっている。彼女は、彼が広間で若い騎士たちを殺した本人だと気付いていた。人を殺すことなど容易い、おそろしい、無情な男だ。彼はアルマを見つけ出し、城から連れ出した。アルマは自分がこれからどうなるのか、さっぱり分からなかった。その時、男が立ち止まって自分をしげしげと見詰めていることに気付いた。私は殺されるのだろう、とアルマは思った。恐怖で身体がすくんだ。彼女は貴族の家の生まれであった。いつか、こうやってさらわれて、殺されることも覚悟していた――彼女の親友は、そうして弓矢一つで殺された。今がその時かもしれない。しかし、彼はこう言ったのだった。「私は貴女に逢える日を待ち望んでいた――百年待つかと思ったぞ!」
 驚いたのはアルマの方である。この人私の知り合いかしら、と必死に記憶をたぐった。けれど、修道院で長いこと暮らしていた彼女に、こんな、血のついた剣を垂らしているような知り合いはいなかった。いいえ、もしかしたら兄の知り合いかもしれない。長兄の知り合いならやくざな人がいても不思議ではない。しかし、彼女の目の前の男の行動は、不思議を通り越していた。「こんな場所で逢えるとは思ってもいなかった」「私は貴女のためならこの血を捧げてもよい」「私は貴女に尽くすためにこの生を授かった」等々、不可解な言葉を呟き続けていた。「この聖石は貴女にふさわしい。いや、貴女以外の誰が持ち得るだろうか?」彼はうやうやしく、彼女に聖石を差し出した。
 アルマはその聖石を知っていた。処女宮ヴァルゴ。なぜなら、彼女が暮らしていたオーボンヌ修道院の宝であったから。それは、王家の正統な血筋を証明する宝玉だった。そのためアルマはとっさに、その差し出された聖石を退けた。
「いただけません。その聖石は姫様のものですから……」
 そう言ってから、この言葉は不適切だったかもしれないと思った。この男は、聖石を乱用してリオファネスを混沌に陥れた張本人であり、その彼が、王家から贈答されたオーボンヌ修道院の聖石を当然のように所持し、アルマに差し出している。それも、まるで求愛の贈答品のように。彼女はヴァルゴを受け取るべきだったかもしれないと思い直した。受け取って、姫様に返すべき? それとも、バグロス海に捨てに行くべきだったかしら? 
「私に何を望んでいるの? 私を殺しにきたのではないの? それとも人質にするつもり?」
 アルマは率直な疑問を男に投げかけた。目の前にいるのはリオファネス城で数百人を屠った男だ。気をゆるしてはいけない。
「殺す? そんなとんでもない。私が貴女に望むのは、ただその身体だけ」
 身体――その言葉を聞いた瞬間、彼女の血が凍りついた。甘い言葉で女を誘惑し、身体をものにする。そういう男連中が世の中には大勢いると、彼女は教えられてきた。そうだ、この男も、そういう目的なのだろう。彼女は、精一杯の勇気を奮い立たせると、声を張り上げた。
「私に近寄らないで!」
 彼女は、威嚇にもならないだろうと思っていたのに、不思議なことに男はその声を聞くと反射的に後ろに飛びすさった。その時、アルマの中に眠っていた、彼女自身ですら築いていなかったある気性が目覚めた。彼女は毅然としたまま、彼に命令した。
「私に聖石をよこしなさい」
 彼はヴァルゴを手渡した。アルマはヴォルゴを受け取った。冷たいはずのクリスタルは彼女の手の中で炎のように熱く感じられた。
「私の身体に触れることはゆるさない。私には指一本さえ触れぬことだ」
 アルマは獅子を従えて世界に君臨する女王のような気持ちになっていた。何が彼女をそうさせたのかは分からなかったが、彼女は何の迷いもなく、目の前の男に、自分の父親ほど年の離れているこの男に命令を下した。彼がそれに従い、自分に逆らわないだろうこと彼女は知っていた。
「もちろんだとも。貴女は特別な身体を持った人だ。さあ、私と一緒にミュロンドへ。丁重におもてなししますよ。まずは手始めにディナーはどうかな?」


2016.04.07









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