東の海に吹く風


Final Fantasy Tactics


   


誇りを失った騎士 ver.0



 イズルードはあの時のことを考えまいとした。何も考えずひたすら黙して、殺される時を待っていた。
 教皇の密命を帯びて、オーボンヌ修道院を襲撃したその直後、彼は異国風のターバンを纏った魔術師らに進路を絶たれたのだった。敵は数人、森に住む無法者か、命知らずの盗賊の類だろう、とイズルードは見当を付けた。敵は見慣れない魔術を使っているため、大陸から流れこんできた旅の一団かもしれない。だが、何にせよ相手にしないのが先決だ。何故なら彼が教皇から貰った勅諚には聖石の奪還と人質の安全を最優先せよ、と記されていたためである。幼い人質――ベオルブの末娘を連れながら、幾人もの敵を相手にするのはいくら彼が優秀な神殿騎士であっても困難だった。イズルードはチョコボを乗り捨て、人質を抱きかかえたまま、ひらりと木々の上に飛び乗った。わざと剣を高く掲げ、隙を作ってみせた。誘われた敵手が攻撃しようと身を屈めた瞬間に、イズルードは剣を持ったまま飛び降りた。敵の肩を打ち下ろし、鎧をまっぷたつに割るとと鎖骨を叩き折った。彼は重装備ながら、跳躍を使った戦法を得意としていた。だが――襲撃者の数が多すぎた。敵の集団の中には魔術師だけでなく、忍びの者もいた。一人で相手にするには分が悪かった。そして、敵が有象無象の盗賊くずれではなく、れっきとした戦闘訓練を受けた集団だとイズルードはこの時気付いた。しかしもう遅かった。
「こいつを縛って、持ち物を出させろ」
 頭領らしき男が部下に命じた。男が人質の娘の喉にナイフを突き立てているのを見て、イズルードは抵抗するのを諦めた。
「何が欲しいんだ? 剣か? それとも鎧か? 悪いがオレは金は持ってないぞ」
「確かに、あんたたち教会の犬はそこらの騎士団より立派な武具を貰っているというが…噂は本当だな」
 教会の犬、とあからさまな侮辱にイズルードは顔をしかめた。イズルードは未だ嘗てそんな野卑な言葉を投げられたことはなかった。褐色の肌をした男は、物色するように彼の身なりをじろじろと見回した。「だが、俺たちが欲しいのはそんな安いものじゃない。さあ、修道院で奪ってきた物を見せるんだ」
 敵の狙いは聖石なのだな、とイズルードは思った。足の付きやすい剣や鎧でなく、貴重な聖石に目を付けるとは、この男たちは多少は頭が良いのかもしれない。だが、所詮、盗賊は盗賊である。聖遺物である聖石は、たとえ奪ったところで売ることが出来ない程高価なのである。聖石を不当に所持していると分かれば、それだけで処刑台行きである。
「聖石が欲しいのか? これは古より伝わる神器。我々ゾディアックブレイブのような正統な所持者でない限り見ることもかなわないような物だ。盗賊の分際で聖石を欲するというのか? おまえたちも、枢機卿のように無惨に死にたいのか? あれが不当に聖石を所持していた者が辿る末路だ」
「いいや、俺たちを見くびるなよ、洟たれ。俺たちはカミュジャ。バリンテン大公直下の暗殺者だ。金に困って聖職者から金品を巻き上げる盗賊とは違うんだ。聖石は大公さまに献上するのだ」
「あの武器王が!」
 カミュジャ一行に悠々と聖石を奪取されるのを、捕縛されて何も出来ないイズルードはただじっと見守るしかなかった。人質の少女の姿もなかった。オーボンヌから僅か数里というところで志果てるとは! 彼は忿然たる面持ちだったが、果たして為す術もなく、首尾良く聖石を手にいれたカミュジャが自分をどう始末するのかについてただ考えていた。任務の際に殉職を遂げた立派な先達や、死と引き替えに華々しい戦果をもたらした勇ましい騎士たちのことを思った。それに比べ、自分は、教皇猊下の命も果たすことができず、ミュロンドからほど遠いフォボハムの暗殺者の手にかかって、誰に顧みられることもなく死んでゆくのか――イズルードは無念でならなかった。だが、今こそ信仰に頼るときとばかりに、ただ神にその身を委ねて、ただ黙座していた。何も考えずひたすら黙して、殺される時を待っていた。
 だが、事態はさらに深刻を極めた。
 イズルードは、聖石を手にいれたカミュジャは自分の頸を刎ねるものとばかり思っていた。だが、カミュジャはそうしなかった。彼をチョコボの後ろに縄で縛り付けると、そのまま目的地まで延々と歩かせたのだった。
「喜べ、リオファネス城では父に会えるぞ」
 カミュジャの頭領は、チョコボの上からイズルードを見下ろして笑った。
 城に着くまでの長い道中、フォボハムの紋章を掲げた騎乗の数人と、その後ろを歩く一人の神殿騎士というあまりに奇異な組み合わせに人々は好奇のまなざしを向けていた。神殿騎士といえば、品行方正で、力に物を言わせて盗みに入ることもなく酒に暴れることもなく、巡礼の人々を手厚く保護していたから民衆の信頼が篤かったのである。その神殿騎士が、どうしてこう落ちぶれた姿で歩いているのか、何か不貞を働いたのか、教会の信頼も地に堕ちる――道行く人々がそう囁くのをイズルードは聞いていた。疲労に足を引きずりながらの辛い旅路だった。彼は屈辱に耐えながらただ歩いていた。 
 

 

 イズルードの父は名誉を重んじる人であった。彼自身が神殿騎士団の団長という周りの視線を一身に受ける立場で有るからか、自分にも他人にも厳しかった。イズルードが、父からきつく言いつかっていたのは、
 ――誇りある神殿騎士たるもの、捕虜にはならぬ。
 という命令であった。それは神殿騎士の叙任の際の誓約でも交わされた。恥辱を受け、神殿騎士の名誉を汚すくらいなら潔く死ねというのだった。当然、イズルードもその命に従うつもりだった。カミュジャに散々引き回され、衆人環視の的にされるくらいなら、鞭で打ち殺される方がよほどましだと彼は思っていた。「いっそ殺してくれ」とカミュジャの頭領に懇願すると、彼はまるで道理が分からぬといった風情でこう言ったのだった。
「哀れな囚人は慈悲をくれと慈悲をくれとこいねがうのに、おまたちは殺してくれと言っている。その命、おまえにはもったいないようだな」
「誓いを立てた騎士なら矜恃を持って死にのぞむべきだ」
 しかし、カミュジャは手を下さなかった。イズルードはそのまま城の地下牢に放り込まれ、暗く冷たい石の床に身を横たえていた。きつく縛り上げられていたため、両の手首には泥と血とがにじんでいた。促されるまま歩かされ続けたおかげで足は棒のようにこわばり、もう一歩たりとも動く気力は残されていなかった。城の地下の、光すら届かない狭い坊の中にイズルードはうずくまり、自分の身体に顔を埋めていた。この若い騎士は未だ嘗てこのような過酷な境遇に身を投じたことがなかった。厳格で折り目正しい父の姿を見、見えざる信仰の力に護られ、今まで道を反れることなく生きてきた。彼は、時折熱っぽく理想を語ることはあっても、常日頃は謙虚で穏やかな物腰で、父親譲りの剣の腕もあってミュロンドでも将来の有望される神殿騎士だった。
 イズルードは服の下に隠していた短剣を取り出した。これは、敵の手に落ちた時などに縄を切って逃げられるように、騎士ならば誰しもが密かに持ち歩いている懐刀であるが、神殿騎士は縄を切るためだけに使うのではなかった。イズルードはしばらく短剣を見詰めていたが、やがて決心したように短剣を握りしめた。
 だが、彼は短剣を使うことが出来なかった。彼は死を選ぶことが出来なかった。彼はひどく震えたままその場に座り込んで動けなかった。今さら死が怖かったのではなかった。自ら死ぬことは、神から授かった賜物を無下にすることであって、神に対する最大の不敬を働くことであった。不貞が露見し、挙げ句に自殺を図った若いグレバドス信徒の女の遺体から首切り落とされるのを彼はミュロンドで見ていた。彼は死ねなかったのである。しかし、父親の言葉が彼の胸に鉛のようにのしかかってきた。
 ――誇りある神殿騎士たるもの、捕虜にはならぬ。
 神殿騎士として、誓いは守らなければならぬ。しかし、その誓約履行にはあまりに大きな代償を必要としていた。己の信仰を棄てねばならないのである。神殿騎士の名誉を守るために最大の禁忌を犯すのか、信仰を守るために誇りを棄てるのか、イズルードは背反する真理のうちに胸を引き裂かれていた。彼は父の厳格さを思い知った。信仰を背負った騎士が、どんなに厳しくあるべきかを今、彼は身を以て知ったのだった。
 彼は短剣を持ったまま悶絶していた。剣を奪われ捕虜にされ、誇りも失くし、自分はもう神殿騎士を名乗ることは出来ないと叫んだ。だが、同時に彼には亡霊のような父の姿が暗い地下牢に見えるのだった。彼は、口ではアジョラの名を唱えていたが、悪霊に取り憑かれた人のように短剣をきつく握りしめていた。そして、とうとう、短剣を喉に突き立てたのだった――剣を握る血の滲んだ両手は恐怖に震えていた。


 

 それでも彼は死ななかった。
 神殿騎士団団長の息子を人質に取り、取り引きに使おうというのがバリンテン大公側のもくろみであったため、生け捕ってきた捕虜に死なれてしまっては困った状況になってしまう。それで、地下牢の中で若い騎士が喉から血を流して瀕死の体で倒れているのを見張りが見つけ、慌てて人を呼び介抱させたのである。
 しかし、イズルードの方はすっかり昏倒しきっていたので、まさか自分が命を助けられ、介抱されているとは露も知らなかった。彼は深い眠りの中で一つの夢を見ていた。
 ――そこは潮風の香りがする、北方風の場所だった。広大な農作地は豊かに実っていたが、不思議とそれを刈り取る農民の姿はなかった。誰もいないのを不審に思ったイズルードは近くを探し回った。そしてやっと畑の作業小屋の近くに烟が上がるのを見た。柊が火にくべられており、鼻につく独特の臭いを漂わせていた。小屋の中に若い女性がいた。
『ここには誰もいないのか』
『みんな黒死病で死んだのよ』
 あれは魔除けなの、と入り口の柊を指さす。「おかげで、畑で働く人が誰もいなくて困ってるの。今は収穫の時期なのに」それから、彼女は隣の村が厄災のために人が絶えてしまったことを話した。するとそこに一人の男が現れた。男は襤褸のような擦り切れたマントを羽織っていた。男は民衆を引き連れていた。やがて剣を振り上げると高らかに声をあげた。『奴等を、腐った王家と貴族を倒した時こそ我らは栄光という名の朝日を浴びる事ができるのだ。奴等は我々を家畜と罵った。ならば我々が人間となり奴等を家畜となした時にこそ奴等から…――
 そこで夢は途切れた。イズルードは気がついた。自分がいるのが神の国でもなく地獄の業火の上でもなく、リオファネス城の地下であると知った時、彼は深い絶望に襲われた。ただでさえ疲労で衰弱しきっていたというのに、その上、喉を切って大量の血を流したのだから、今度こそ彼はもう何もすることも出来なかった。言葉一つ発することなく、冷たい石の上――藁が一掴み、床の上に撒いてあるのはカミュジャのせめてもの気遣いである――で半睡半覚のうちに、静かにしていた。
「やっと気がついたか、今度こそおとなしくしているんだぞ」
 カミュジャの頭領が檻越しにイズルードに声を掛けた。だが返事はなかった。男が中を覗くとイズルードはうなだれて、頭を垂れていた。その様はひどくやつれて見えた。さすがにもう何か思い切った行動はしないだろう、と男は見当を付けて去って行った。
 絶望とは、神に見捨てられ、希望をたたれること。イズルードはまさにその境地に陥っていた。
 彼は奪われた聖石とは別にもう一つの聖石を隠し持っていた。それが今の唯一の持ち物であった。かつてそのクリスタルは信仰の証であり、栄えある神殿騎士の証でもあった。聖石に纏わる伝説は星の数ほどあり、死人を蘇らせたという奇跡や、聖石を通して神と対話した等々その噂は後を絶たない。彼もその噂を信じ、聖石を大切な神器と貴んできたのだが、ついぞその奇跡には出会えなかった。
 辺りは暗がりで何も見えず、物音一つなく、静寂が支配していた。イズルードは悟った。自分には神の奇跡などほど遠いものだったのだと。そして、ぼんやりと、夢の中で聞いたあの声は確かにウィーグラフのものだったと気付いた。 


 * * *  


「おまえに誇りはないのか」
 父が問うた。
 イズルードはあまりの出来事に思わず瞠目した。もう目の前にいるのは父ではなく悪魔に憑かれた獣だった。大公は泡を吹いて脱兎の如く逃げ去り、広間にいた近衛兵らも悲鳴を上げ恐怖におののいている。獣は手当たり次第に兵士を噛み千切り、辺りは一瞬のうちに惨憺を極める光景となった。
「おまえは誰だ」獣が問いかける。イズルードはこの獣を父と見做すことは出来なかった。
「おまえは誰だ」なおも獣は問いかける。獅子の顔をした悪魔はイズルードににじり寄り、壁に追い込んでいた。哀れなこの若い騎士は恐怖に顫え、動くことも声を発することも出来ずにいた。
 それでも、この騎士は年の割に素直で、聡明な青年であったので、この瞬時の惨劇から大方のことを察した。教皇が欲していた聖石は悪魔を呼び寄せる恐るべき力を秘めた神器で、父はそれを利用していたのだということ。自分はそのために利用されていたのだということ。彼は二度目の絶望に襲われた。理想に裏切られた屈辱と、現実への幻滅は彼を絶望の淵へたたき落とした。そしてこの絶望は彼を、神へ、一度も崩れたことのない信仰へと導いたのである。
「おまえは誰だ? 私は聖石を通じて、神の声を聞いたぞ。あの方はこんなにも素晴らしい力を私に賜ったのだ。だが、おまえは聖石にはふさわしくない人間だったな、息子よ」
「私はあなたの息子ではない――神の僕です」
 彼の内部には真に宗教的な感情があった。幼少の頃より、疑うことなく、アジョラの教えを信じ、また見えざる信仰の力に護られてきた。その信仰をないがしろにされ、侮辱された憤りを感じていた。それも信仰を汚していたのが教会だったと気付いてしまったのだ。彼は再び剣を求めた。信仰を守らなければならない。教会を不正から救わねばならない。奴を倒さねばならない、とイズルードは決心した。
「神殿騎士は神の僕たる存在。信仰を帯とし…。その身に盾とし…いつから腐敗した教会の犬と成り下がってしまっていたのか」
 汚された誇りを取り戻さねばならない、と忿然たる面立ちでイズルードは剣を握った。
「そうか、神の僕か。ならせいぜい犠牲の贄となるがよい。アジョラはその身をもって犠牲の子羊となり、その血を神に捧げたのだぞ――!」
 広間に居た兵士らはとうに殺され、息絶えていた。イズルードは一人で身の毛もよだつ獣に対面しなければならなかった。しかし、人の子と悪魔の憑いた獣とでは対等に渡り合えずはずもなく、イズルードは奮闘虚しく、床に崩れ落ちた。仆れながらも、それでも剣は離そうとしなかった。
「どうだ、力の差を思い知っただろう。我々と契約を結ばないか――力が欲しいだろう。ウィーグラフも我々に従ったのだぞ!」
 ウィーグラフ、と言われてイズルードははっとした。彼は面を上げた。そこには血に餓えた獣がいた。だが、その魔が差した眼差しの向こうに――誇りを棄てて力を欲した騎士の姿があった。彼は力を求め、そうしてやっと人間になれたと言った。
 奴を殺さねばならない――そう思いながらも、イズルードはとうとう剣を揮うことが出来なかった。何故なら、誇りを失った騎士は、誰に赦しを請うこともなく、人知れず涙を流していたからである。


2016.04.07




・「誇りを失った騎士」のプロットでした。完成作品は小説ではなく戯曲風の体にしてしまったので、このプロットで小説を書くことはありませんでしたが、気に入っているエピソードもいくつかあったのでお蔵出ししてみました。
・イズルードとウィーグラフの話など、こちらでは未完で終わってますが、完成作品の方でみっちり書きましたので、よければそちらを見ていただけると嬉しいです…;





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